2012年5月26日 (土)

金環日蝕  -平成24年5月21日午前7時34分:東京-

【仏教聖典より】1_5

『世を楽しむことと道を楽しむことはおのずから別である。

 すでに説いたように、何ごとにも心がもとである。

心が世の中のことを楽しめば、迷いと苦しみが生まれ、心が道を好めば、さとりと楽しみが生まれる。』


 英訳は enjoyment of life, enjoyment of the True Path、さとりと楽しみはhappines, contentmente and enlightenment.

『まことに、この三学はさとりへの道である。三学を学ばないために、人びとは久しく迷いを重ねてきた。

 この三学は、開けば八正道となり、四念住、四正勤、五力、六波羅蜜とも説かれる。』

 八正道、四念住、四正勤、五力、六波羅蜜は、eightfold noble path, the four viewpoints to be considered, the four right procedures, the five faculteies of power to be employed, and the perfection of six proctices.   五力とは、1.信ずること、2.勤めること、3.思慮深い心を保つこと、4.心を統一すること、5.明らかな智慧を持つこと、でさとりを得るための力である、と明快であるが、何れも難しい。

(以上出典:仏教伝道教会 和英対照仏教聖典より‐はげみC2実践の道S3、p327-333)

 写真は仏教聖典を読む時に使う砂時計。3分間。一緒に写っているのはチベット旅行時購入の竜馬と数珠(本ブログ 他記事参照)ならびに曹洞宗経本。

【百人一首より】 13番 :「後撰集」より

05_4  『筑波嶺の

    みねより落つる みなの川

  恋ぞつもりて

     淵となりぬる 』

   (陽成院)Photo

  恋歌はいつの世も、ということだが。。。。
写真絵は任天堂謹製“小倉百人一首 平安”

(仏教聖典、百人一首掲載の経緯は、本ブログ 2012/01/09 新たな年を迎えて -仏教聖典、百人一首- を参照のこと)”

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2012年5月19日 (土)

檸檬の花  -人・花を巡る風花庭だより-

年年歳歳花相似         
歳歳年年人不同        

(年年歳歳花あい似たり歳歳年年人同じからず:
毎年美しい花は同じように咲くが しかし,それとともに
花を見る人々は毎年変わっている。 )

 初唐の人、劉 希夷(りゅう きい)作、28歳で亡くなった、という。

 今年も昨年同様、我家の庭(風花庭)には様々な花が野菜花も含め咲き誇り、時間の経過を惜しむように風に舞い、また自らの存在を記憶に留めさせるように地上に模様を描いていった。
 その姿・形は毎年変らないように見えるが、年毎に新たな花が咲いたり、昨年にはなかった事象が出現することもある。ことし、我家では昨年購入した檸檬の花を見ることができた。また、初めて椰子の花が咲いているのを発見した。
 意外にも変らないのは、『春山勝事多し』(本ブログ 他記事参照)と、退職後も相変わらず時間に追われて慌しく時を過ごす私自身かも知れない。(夜中、2時に起き出してこのブログを書き始めていることが、その典型か

Fujisummit 先週日曜日(5月13日)金時山山頂からの富士山。まさに『頭を雲の上に出し』た、当日の富士山。このあとすぐに全体が雲に覆われ、頂上を写したこの写真が貴重な一枚となった。

 富士山登り隊(本ブログ 12/04/21 筑波山 -富士山に登り隊-参照) の第二回めの参加であったが、今回はひたすら登り続け、人で込合う頂上ではひたすら昼食を摂り、あとはひたすら下りの道を歩き続けた。今回はペースが前回より早かったこともあったが、きつかった。トレーニング不足を痛感。

 サウナスーツのような新調の雨着を着て体重減量に努め、一日で-2.5kg達成。それもつかの間。帰りのバスでのビール・アルコール・ツマミ類でリバウンドしたような。。。

(今回も記事が長くなりそうなので、【仏教聖典・百人一首より】はお休み。)

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2012年5月12日 (土)

手作りパンの会 -ベターホーム教室-

Francepan

 ベターホーム(以下BH)手作りパンの会が終わった。講師の先生が言われたように、一年間で12回パンをこねたことになる。
 菓子パンに近いものから、素朴なフランスパンまで様々なものを作り、賞味したが、パン造りだけでなく、いろいろ想い出深いことも多かった。

 写真は、終了証とフランスパン。サラダピッツアとフーガス(プランスパンの焼きあがるのが後になったため、合成写真になっている)

 主な内容は、手作りパンの会受講のきっかけ、毎月作るメニューと印象に残るもの、教室の印象感想など。

(仏教聖典、百人一首の掲載は休み)

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2012年5月 5日 (土)

アンコール・ワット旅行記     -その4:日の出と遺跡群-

【仏教聖典より】

Sunrise0『執着があれば、それに酔わされても、ものの姿をよく見ることはできない。執着を離れると、ものの姿をよく知ることができる。だから、執着を離れた心に、ものはかえって生きてくる。

悲しみがあれば喜びがあり、喜びがあれば悲しみがある。悲しみも喜びも超え、善も悪も超え、はじめてとらわれがなくなる。』

「執着」は be influenced by one's likes and dislikes だが、後では attachments と訳されている。 Drs. SEARSの育児書にも 触れ合い と言うような意味合いで attachments という単語が用いられていたが、育児も「執着」ととらえると何か本質を付いてくるようで、興味深い。悲しみも喜びも超え は、no longer discriminate between happiness and sorrow 「超える」ことは、「区別、識別(discriminate) しない」という解釈になる。

過去は追ってはならない。未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。

今日すべきことを明日に延ばさず、確かにしてゆくことこそ、よい一日を生きる道である。』

今年1月と同じ箇所が出てきた。始めのフレーズは、大学の学生礼拝の時に語られた言葉として印象深い。まさに今を生きる。By acting now, one can live a good day。最後は多少通俗的な気もするが、良い言葉だと思う。

(出典:“和英対照仏教聖典”、仏教伝道協会 はげみC2実践の道S4 p。379)

 アンコールワットの朝日。このような太陽をみると、その日が良い一日になり、よい一日を生きられる気がしてくる。合掌

【百人一首より】 52番 (後拾遺集)

52 『 明けぬれば

  暮るるものとは

   知りながら

 なほうらめしき

    朝ぼらけかな』

  (藤原道信朝臣)

Photo

 ジュリエットと朝別れたロミオの心境か。しかし、道信はわずか23歳で亡くなったとのこと。時代を生き急いだ感もある。 

写真絵は任天堂謹製“小倉百人一首 平安”

(仏教聖典、百人一首掲載の経緯は、本ブログ 2012/01/09 新たな年を迎えて -仏教聖典、百人一首- を参照のこと)

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2012年4月28日 (土)

アンコール・ワット旅行記     -その3:アンコールトムと夕日-

【仏教聖典より】

Sunset0『昔ある男が、ある朝鏡にむかって、自分の顔も頭もないのにあわて驚いた。

しかし、顔も頭もなくなったのではなく、
それは鏡を裏返しに見ていて、なくなったとおもっていたのであった。』


仏教聖典には、たとえ話や比喩が非常に多くでてくる。話を解りやすくするためだが、鏡を裏返しにしていたというのは、顔も頭もないのにあわてる前に気付いても良い気がするが、状況を示すには非常にはっきりした喩えとなっている。「裏返しに見る」は looks into the reverse side of a mirror! 中学生の英語。(the) article :冠詞の使い方に注意。

『さとりに達しようとして達せられないからといって苦しむのは愚かであり、また、必要のないことである。

さとりの中に迷いはないのであるが、限りのない長い時間に、外のちりに動かされて、妄想を描き、その妄想によって迷いの世界を作り出していたのである。』


生きることは迷いを生み続ける(accumulation of greed and illusion) ことと言っているようにも思える。裏返せば生まれたばかりの赤子は既に光ある仏性(Buddhahood)を持ち、さとりの世界にいるということなのだろうか。

(以上出典:仏教伝道教会 和英対照仏教聖典、おしえC3さとりの種S2・p143)

写真は仏性そのもののような、アンコールワットの夕日。

【百人一首より】 05番  出典:「古今集」より
13
 『 奥山に
 
    紅葉ふみわけ 鳴く鹿の
 
   声聞くときぞ

  秋はかなしき


    (猿丸大夫

春も盛りのこの時季ではあるが、秋の詩を引いてしまった。Photo

写真絵は任天堂謹製“小倉百人一首 平安”

(仏教聖典、百人一首掲載の経緯は、本ブログ 2012/01/09 新たな年を迎えて -仏教聖典、百人一首- を参照のこと)

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2012年4月21日 (土)

筑波山 -富士山に登り隊-

【仏教経典より】

『仏性は、実にもっともすぐれた人間の特質である。世に男はまさり女は劣るとする慣わしもあるが、」仏の教えにおいては、男女の差別を立てず、ただこの仏性を知ることを尊いとする。』

Membercard

「男はまさり女は劣るとする」というのは、疑問な気がするが。。。本記事での山ガールを見ていると特にそう思える。 ちなみに英訳では in human nature there may be endless varieties such as men and women となっており、記述が変容されている。

『黄金の粗金を溶かして、そのかすを取り去り、練りあげると貴い黄金になる。心の粗金を溶かして煩悩のかすを取り去ると、どんな人でも、みなすべて同一の仏性を聞き現すことができる。』

they would all recover the same pure Buddha-nature. これは、一切衆生悉有仏性に通じる。ことあと、「涅槃経」の師子吼菩薩品では、如来常住 無有変易と続く。その意は「真理を具現する如来は恒久不変で変化しない」。

(以上出典:仏教伝道教会 和英対照仏教聖典より‐おしえC3さとりの種S3、p159)

 写真は今回記事の富士山に登り隊の登録証(MEMBER's CARD)。ツアー会社からの支給。うらに、全6回の案内人、添乗員が記録されるようになっている。

【百人一首より】  35番 :「古今集」より

35   『 人はいさ

      心も知らず ふるさとは

             花ぞ昔の

            香ににほひける     』  

       (紀貫之)

 Photo
 これも有名な紀貫之の春のうた。 いつの日も昔をなつかしむ心は変らない。。。。。
 貫之の『土佐日記』は、わが国日記文学代表作。


写真絵は任天堂謹製“小倉百人一首 平安”

(仏教聖典、百人一首掲載の経緯は、本ブログ 2012/01/09 新たな年を迎えて -仏教聖典、百人一首- を参照のこと)

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2012年4月14日 (土)

春の盛りに    -花祭り、桜、畑-

【仏教聖典より】

『折から春の陽はうららかに、アショーカの花はうらわしく咲きにおっていた。妃は右手をあげてその枝を手折ろうとし、そのせつなに王子を生んだ。転地は喜びの声をあげて母と子を祝福した。ときに四月八日であった。』

 天上天下唯我独尊と語ったという有名な逸話は聖典には載っていない。マーヤ婦人(Queen Maya)の妹マハープラジャーパティー(Mahaprajapati)によって養育される。またアシタ仙人(A hermit, called Asita)の偉大な王か、世を救う仏になられるであろうという予言。太子としての憂鬱。生病老死に巡り合う四門出遊、出家。

『人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかPhotoならない。しかし、この求めることについては、誤ったものをもの求めることと、正しい ことを求めることの二つがある。。。』



 出家後の激しい苦行、スジャータ(Sujata)からの乳粥による回復。そして悪魔との戦いを経て、いわゆる降魔成道に至る。

『しかし、その戦いも終わり、夜明けを迎えて明けの明星を仰いだとき、太子の心は光輝き、さとりは開け、仏となった。それは太子三十五歳の年の十二月八日の朝のことであった。』

 生まれる、悟る、いずれも八日というのも因縁・縁起を感じる。

(以上出典:仏教伝道教会 和英対照仏教聖典 ほとけC1史上の仏S1p.5‐p.15)

 写真は、大学からの履修証明書2冊。学位記なみ、学校教育法第105条によっている。仏教思想研究、書道研究の2コース分。平成23年度は12科目、24単位を修得した。

【百人一首より】 33番 出典「古今集」

330

      『   久方の

          光のどけき 春の日に

         しづ心なく

        花の散るらむ   』

          (紀友則)

 本来は乱数を引いて詩を選定すべきところだが、やはり春の今の季節、私の一番好きなこの詩ははずせない。(本ブログ 10/04/29 さくら花紋様 -風花庭だより- 参照) Photo_3

写真絵は任天堂謹製“小倉百人一首 平安”

(仏教聖典、百人一首掲載の経緯は、本ブログ 新新たな年を迎えて -仏教聖典、百人一首- を参照のこと)

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2012年4月 7日 (土)

アンコール・ワット旅行記     -その2:アンコールワット-

【仏教聖典より】
Siva_4

『いま、仏教の信者とは、仏と教えと教団とを信ずる者をいう。

 仏とはさとりを開いて、人びとを恵み救う人をいう。教えとは、その仏の説かれた教えをいう。教団とは、その教えによって正しく修行する和合の団体をいう。』


 三宝帰依の仏法僧が説かれている。仏法僧の3つ合わせたものが仏教であると先日のNHKで花園大学佐々木教授が語っていた。聖典でも、仏は教えに現れ、教えは教団に実現されるから、三つはそのまま一つである、と続く。

 『・・・仏を信ずれば、現実に仏を見、仏の救いが得られる。

仏を念ずる者は、常に仏の光明におさめられ、また自然に仏の香気に染まる。』


 英語では、Those who thus regard Buddha will be supported by His wisdom and perfumed by His grace. 香気に染まるが perfumedとはまさに香り高い言葉。

(以上出典:仏教伝道教会 和英対照仏教聖典はげみC2実践の道s3 p.351-353)


 写真は下記アンコールワット寺院内のシバ神。

【百人一首より】 34番 出典:「古今集」より 34_3

  『  誰をかも

   知る人にせむ 高砂の

     松も昔の 友ならなくに  


          (藤原興風)

 Photo_3
ブログを書き続けても昔の誰も読んではくれない、そんな心境にも通じる詩。興風は琴の名手でもあった。

写真絵は任天堂謹製“小倉百人一首 平安”



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2012年3月31日 (土)

アンコール・ワット旅行記     -その1:旅の始まり-

【仏教聖典より】

『すべての人びとを子のようにひとしく慈しむ仏の大悲は平等であるが、人びとの性質の異なるのに応じてその救いの手段には相違がある。ちょうど、降る雨は同じであっても、受ける草木によって、異なった恵を得るようなものである。』Bankokair

 ここで“草木”は、vegetation, plants。ひとしく慈しむ仏の大悲は、単純にBuddha's compassion.。逆に“性質の異なり”については、different natures and circumstancesと環境も加えている。

『太陽が東の空に昇って、闇を滅ぼし、すべてのものを育てるように、仏は人びとの間に出て、悪を滅ぼし、善を育て、叡智の光を恵んで、無知の闇を除き、さとりに至らせる。』

 太陽の光の効用が、単に明るさだけでないことを知る まさに、clears away the darkness of ignorance.

(以上出典:仏教伝道教会 和英対照仏教聖典、ほとけC2永遠のほとけS2・p41-)
 写真は、先日バンコックからアンコールワットのあるシュムリアップまでのったBangkok Air (PT)の機体。南国らしく、大きな鯨や海の絵が描かれていた

【百人一首より】  80番 :「千載集」より 80

   『   長からむ

    心もしらず 黒髪の

 乱れてけさは  ものをこそ思へ 』  

     (待賢門院堀河)

Photo 待賢門院堀河は、崇徳院の母の待賢門院彰子につかえ、源顕仲の娘、とのこと。NHK大河ドラマの平清盛にも丁度出てきた。

 
写真絵は任天堂謹製“小倉百人一首 平安”


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2012年3月17日 (土)

唯識の探求 -読書ノート-

【仏教聖典より】

すべてのものは互いに関係して成り立ち、互いによりあって存在するものであり、ひとりで成り立つものではない。  ちょうど、光と影、長さと短さ、白と黒のようなもので、それ自体の本質が、ただひとりであり得るものではないから無自性という。

1ここでも縁起の思想が述べられている。自他不二の思想は老子道教、K.Wilber無境界にも出てきたと思う。『無自性』は“non-subustantial”と訳されている、substanceは実体。従って、無実体ということになって、文脈での意味とは多少異なって来るような気がする。

『人は我があると思うから、わがものに執着する。しかし、もともと、我がないのであるから、わがもののあるはずがない。我とわがもののないことを知って、別のものではないという真理をさとるのである。』

 我はego-personarity, 別のものではないは“non-duality”。ここの節では般若心経にも通じる無の思想がでてくる。

(以上出典:仏教伝道教会 和英対照仏教聖典、おしえC2人の心とありのままの姿S4・p120‐)

 写真は。先日の接心会で購入したダルマ。紅白一対のうちの赤いもの。裏に鹿野山禅研修所の文字が書かれている。以前購入していた白ダルマ(本ブログ 10/06/07 
心を摂(おさ)むる ‐鹿野山座禅大接心 参照)に両目が入ったため、新たに求めた。

【百人一首より】  07番 :「古今集」より

7_2

   『   天の原

     ふりさけ見れば 春日なる

    三笠の山に

       出でし月かも 』  

       (安倍仲麿

 始めの乱数は47番を引いたのだが、秋の詩でこれから春という今の季節にそぐわないため、再度乱数を引きなをしたら07番。安倍仲麿の超有名な歌が出てきた。Photo
 遣唐使として、故郷奈良を想って作った歌。結局は帰国を果たすことができなったが、唐は皇帝玄宗の時代。

写真絵は任天堂謹製“小倉百人一首 平安”

(仏教聖典、百人一首掲載の経緯は、本ブログ 2012/01/09 新たな年を迎えて -仏教聖典、百人一首- を参照のこと)

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